【凡人の私が願いを叶えられたのは】ただ○○するだけ!人生が変わる方法

how to change your life アウトプット

雑食系エンジニアサロンオウンドメディア編集長のあずにゃんです。今回は、私が小学生から今に至るまでやってきた「○○すること」をみなさんにオススメしたいと思います。この「○○すること」により、特になにかに秀でているわけではない私が、次々に夢や目標に近づくことができました。大学時代、フランスで働きたいと思っていましたが、この方法を使って実際に2年間フランスで働くチャンスを手に入れました。エンジニアの世界でどのように活かしていくことができるか具体的にはわかりませんが、人生がかなり変わると思っているので、ぜひこの記事を読んで試してみていただければと思います。

【目次】

1. 偉人だったらどうするか?が行動の規範…小学生

2. もう後悔したくない!抜け殻中学生→猛烈高校生

3. 鼻で笑われても!フランス勤務のチャンスをゲット!

4. 憧れのクリエイターに会えた!アニメ作画塾

5. もとがとれすぎ!オンラインサロン活用法

1. 偉人だったらどうするか?が行動の規範…小学生

はじめに、私の考え方の基本をお伝えしておきたいと思います。幼稚園時代から一人で過ごすことが多かった私ですが、毎月楽しみにしていたことがありました。母が契約してくれていた書籍の定期便です。世界の名作が1シリーズ届き終わると、今度は偉人伝が届き始めました。読めない漢字にはふりがながふってあったので、幼稚園生の私も没頭して読むようになりました。偉人の生き方を読んでいると、自分がいかに生ぬるい環境で育っているかわかります。偉人たちは子どもの頃から孤児だったりしますよね。当時の私は両親が健康でいることに不思議を感じていたくらいでした。

そんな偉人たちの人生を繰り返し読んで育ったためか、なにか行動するときの基準は好きな偉人になっていきました。偉人ならこういうときどんな対応をするか?と考えてそのとおりにするなかなか癖が強い子どもだったと思います(笑)。

小学生低学年のとき、なにかのはずみで学級委員長に推薦されたことがありました。そのときも、偉人なら面倒くさいという理由で断ったりしないし運命を受け入れるだろうと思い、引き受けました。ここから役員人生が始まったのでした(笑)。

2. もう後悔したくない!抜け殻中学生→ガリ勉高校生

「~長」という役が来るたびに引き受けていた私もいよいよ中学生。演劇部の活動に打ち込む一方で、孤独を感じることが多かった私をいつも救ってくれた、アニメの作画をする職人・アニメーターへのリスペクトが強くなっていったのもこの頃でした。

高校に入学したら美術を学びたいと思い、進学校への入学を希望していた母に内緒で美術高校への受験勉強を開始、下見に行ったりするも、三者面談で母にバレてしまい(当たり前ですよね…)「あんたには才能なんかない!」と怒られてそのまま撃沈。才能がないのは自分でもわかっていたので図星をつかれ、あっけなく夢を諦めることになりました。画材をすべて捨てた私はやりたいこともなく抜け殻のように残りの中学生時代を過ごしたのでした。

高校に入学してもしばらくは茫然自失でしたが、ある日「このままではいけない!」と思い、「もう夢を諦めたりして後悔するのは絶対なしにしよう」と心に決めました。羊のドリーが話題になっていた時代でした。遺伝学に興味を持った私は、将来は遺伝の研究をしたいと思い、理系に進むべく数学の猛勉強を始めました。数学は小学生のころから苦手科目。全然できなかったのですが、理系大学へ進むには避けて通れず、放課後は23時ごろまで塾の自習室で数学の勉強。日曜も夏休みも正月も関係なく自習室に通い続けました。

3. 鼻で笑われても!フランス勤務のチャンスをゲット!

浪人の覚悟をして受験しましたが、結局合格したのは大学の文学部でした。あれほど数学を勉強したのに…という感じですが、当時はもうこれ以上やれないくらい勉強したと達成感がありました。

大学に入ると、美術への気持ちが再燃し始め、芸術の都と呼ばれるフランスに興味がわいてきました。日本ではあまり評価されることのない芸術作品がフランスでは評価されることがしばしばあります。そこで、日本とフランスの芸術への視点の差異を知りたいと思い始めました。留学生というゲストではなく、フランスで一般市民と同じように働きながら生活をする中でどのように芸術が捉えられているのか知りたくなりました。

そこで、フランスで働くという目標を持ち始めました。もともとフランス語が全然できなかったので、フランス文学専攻に進みたいという希望をフランス文学の先生に伝えたとき、鼻で笑われたのを覚えています(笑)。ほとんどの人には「フランスで働く?何言ってるの?」といった反応をされ、「あずにゃんはまだ夢を見ているんだね…」と哀れみをこめて言われたりしました。

大学を卒業後、日本語を研究できる場所を探し、働きながら大学院受験への勉強を始めました。なんとか合格できた大学院に翌年入学。私ともう一人以外は全員外国人というクラスで、なんの因果かまたリーダーになり、研究とリーダー業に勤しむ毎日でした。

このころから、何かの募集が出るたびに「私がやります」と手を挙げるようになりました。今までは、流れで役をやっていましたが、あらゆる授業で手を挙げ続けるということをやった結果、修士1年目の終わり頃に先生より「フランスの大学にポストがあるんだけど行ってみない?」と声をかけていただきました。

当初の予定では、大学院を修了してから実務を経て最終的にフランスで働ければいいやと思っていたのでかなり驚きました。良い意味で予定外でしたが、こうして大学院を休学して2年間、フランスで働くことができたのです。

4. 憧れのクリエイターに会えた!アニメ作画塾

フランスでの勤務を終えて帰国した私が次に興味をもったのは、中学時代に挫折したアニメの作画でした。ちょうど開塾したばかりのオンラインを中心としたアニメの作画塾に申し込み、毎日の投稿に加えて企画を提案・運営したり、忘年会などのイベントがあれば幹事に手を挙げ続けました。その結果、塾長に憧れのクリエイターたちを紹介してもらったりしました。

とにかく、常にどうしたらもっとコミュニティが活性化するか、塾生のみなにとってどんなイベントがあったらありがたいか考え続けました。アニメーターの卵にとって学校での撮影やスケッチが必要だと思うと、学校に電話をかけまくり、頭を下げまくりました。塾生から作品を集めて学校に持って行って校長に活動内容を説明したりもしました。

フランス勤務時代から実現したかった「日本のアニメーターの技をフランスの学生に伝える」イベントも、フランス語の猛特訓をして(フランス語は使わないと衰えます)、実際にフランスに行って会場をおさえ、実施することができました。実施にあたり、講師ほかみんなが協力してくれたのは、常に「私がやります」と手を挙げ続けていたからだと思います。

5. もとがとれすぎ!オンラインサロン活用法

近年、流行しているオンラインサロン。私もいくつかのオンラインサロンに入りましたが、そこでもとにかく手を挙げ続けました。堀江貴文さん主宰のHIUでは手を挙げすぎてプロジェクトに参加しすぎ、キャパオーバーして倒れてしまいました。結果的にプロジェクトメンバーにはとても迷惑をかけてしまうことになっていましたが、あの頃手を挙げ続けたおかげで、プロのライターとして活動する道もできました。

また、別のオンラインサロンでも積極的に企画を運営しているうちにサロンの運営側として活動することとなり、他の有名サロンの運営者とも仕事をともにすることも多くなりました。結果的に、一サロン参加者ではなかなか会うことのできない人に会うこともできました。

できるかできないか考える前に手を挙げる

倒れてしまっては元も子もありませんが、できるかできないか考える前に手を挙げることをオススメします。できるかどうか考え始めると、だいたい人はできない理由を探し始めます。そして、あとになって、「やっておけばよかった」と思うのです。

もちろんその時の自分のキャパはわかっておく必要がありますが、体力に自信があるなら募集が出た瞬間手を挙げる、がいいかなと思います。今まで見えなかった景色、関わることがなかったであろう人との関係、手が届かなかった憧れの人と話せる機会、そんなものが手に入るかもしれません。

※現在の私は一度倒れたこともあるのでちょっと手を挙げるのはお休み中です。また回復してきたら即挙手してみたいと思います(笑)。

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